今日も一日

ちょっとだけ息抜きしようとおもって、家族と遠出した。自然のなかで過ごす時間はとても心地がよかったけれど、PTA活動の進行状況が常にLINEで届き続ける。

休んでしまった罪悪感で胃がチクチクする。やるべき仕事はたくさんあって、学校行事の都合によって更に上乗せされていく。本来ならば手伝わなくてはいけない作業たち。

1つ終わればまた1つ。そうやって当たり前に増え続けるのだから、これが終われば少し休めるなんて気休めにもならない。

たくさんのお便りを刷らなくてもいいようにオンライン化したけれど、指示に従わずなんのリアクションも起こさない保護者が多数いる。PTA活動はボランティアなので、強制参加はさせずに見守ろうと本部では結論付けたものの、学校側はそれを認めてはくれなかった。

全家庭に平等に仕事を割り当て、平等に会費を徴収する。それがPTAらしい。

家庭状況は平等ではない。

そんな当たり前の事情が念頭になく、搾取することばかりを考える。

PTA活動のためにパートを減らして、子供たちとの時間を減らして、私たち保護者は何を得るんだろう。

 

PTA活動のおかげで教職員は助かっている。教育のための時間が割ける。

 

そう言ってもらえるのは嬉しいことなのかもしれないけれど、うちの子が2年前に不登校になったのは担任の先生が原因だった。

いまだに行き渋りのある娘を犠牲にして、教職員を助ける活動をしている矛盾。

 

今日もまた少し考え込んでしまう。

嫌ならやらなければいいって簡単に言うけれど、私が抜ければその分作業が減る訳じゃない。残った保護者とそのお子さんかぜんぶ被ってしまうと思うとなかなか決断できないでいる。

 

PTA会費の使い方

今現在、PTA予算の半分以上が学校の運営費に当てられている。どこの学校もそうなのかもしれないけれど、それが問題になっている自治体がいくつかあるのも確か。

 

運動会で使うCDも各クラスの扇風機も、音楽室の楽器も、先生方が使う文房具も…。たくさんのものがPTA会費から捻出されていた。それに気がついた保護者が疑問の声をあげたのは昨年度のこと。

「これって市が払うものじゃないの?」って。

そんな保護者の声も「予算の使い方は理事会で決定したものだから。と突っぱねられたらしい」と聞いたので、過去の議事録を確認してみた。けれどそんな議題が上がった形跡ひとつもない。

そもそも会長の立場ですら任期は長くない。過去のことを熟知する人間なんていない。

やけくそになって過去10年分以上の総会、理事会の資料を読み漁ってみたけれど、やはりなんの成果もなかった。

 

本部の中で話し合い、過去のことはわからないならば、今年度からは購入前にみんなで確認をしようということで決まった。

 

けれど、それもうまくいかない。昨年度の終わりには学校側とPTA事務員さんで話を進めており今年度の購入予定品のリストはすでにあり、また学校の都合で早急に購入しなくてはならなくなるものもあるようだった。「確認していると間に合わない」という理由で次々に新しいものが会費から購入されていく。

 

子供たちのためのものを購入しているのだからいいじゃないか。それが学校側の主張。

でも、小学校入学と同時にほぼ強制的に加入させている団体だ。校納金と一緒にPTA会費を引き落としている現状もある。せめて集めたお金の使い道は保護者に報告する義務があり、そこを理解してもらわないと円滑なPTA活動なんて続けられないんじゃないか。

実際問題、PTAの活動に参加したがらない保護者は年々増えているのだから

協調性のない大人

子供の頃から協調性はなかった私が、PTAという組織に飲み込まれたのは「孤立」していたからだと思う。

子供たちの通う小学校のPTAでは、次年度の本部役員は元本部役員からの推薦という形で決まるのが定例。

娘の同級生の保護者から「来年役員をやらないと不味いことになるよ」と言われ、言われるがまま本部へと加入することに決めた。この時に言われたのは「本部は事務員がいるから実はそんなにやることがないんだよ」「クラス役員になるより融通も効くから仕事への影響も少ないよ」だった。

きっと関わりの深い保護者がいれば、それが嘘であることを知らされていたと思う。でも残念ながらそういった会話をするような保護者が居なかった。

 

不登校になりかけの娘の学校への送迎、常に忙しい状況の職場での立ち回り、いつまでたっても上達しない家事。すでにいろんなことに追われていたのだから断ればよかったのに、「不味いことになる」と言われたことから焦ってPTAへの加入を決断してしまった。

 

このブログを始めることにした理由。

それは単に愚痴を吐きたかった。というのもあるけれど、PTA活動をきっかけに私の心が壊れかけている現状を誰かに知ってほしかったから。